醜い正義2016年11月09日 15時10分32秒

病気にならないとわからない


先日、ツイッターで「近所の市職員が精神を病んで休職中なのに遊び歩いていて疑問」なので、アカウントを立ち上げたという人物がいた。市議の幼稚な行動や公務員倫理にもとる不良公務員の事も突きたいと。
よくいる正義の見方だが、アカウントを立ち上げた理由が気になる。


たしかに「休んでいるくせして」という気持ちはあろう。
自分自身、この病気になってみて初めて気づいた。
昼間出歩けるは幸せなことだ。
布団から起き上がれるのは、幸せなことだ。
自分の足で、ちゃんと前を向いて歩けることは幸せなことだ。
それができなくなるのが、この病気なのだ。
だから、あまり他人の事を非難する資格はないかもしれない。


ただ、一つ大きな問題がある。
それを、匿名のハンドルネームで噂話のように広めるという事だ。
これは、全く無責任な行為である。


もし、やっと昼夜逆転の生活から立ち直ったばかりの人がこれを見たらどう思うか。
もし、ショックをうけて病状が悪化したらどうするか。
もし、駅のホームから一歩足を踏み出したらどうするか。
病になって初めて分かる様々な可能性。
どのような場合でもまずは相手が人間であることから考えるべきこと。


この人は「市をよくするのだ、手を汚さずに」という似非使命感のおかげで、間接的に殺人を犯すかもしれないということを自覚しているのだろうか。


あげくの果てに、やっていることと言えば博物館の職員ブログを見つけ、「この学芸員は自分の名声のためにだけ働いている」「バンディングのために小鳥を捕まえるのはかわいそうだ」「骨格標本の写真を見たら飯がまずくなった」などという、見当はずれな個人攻撃に徹している。
言っておくがその学芸員は、熱心に学芸活動を行い、調査と普及活動を行っている人物である。
我々は何も悪いことはしていないし、公務員倫理に抵触するようなことは何一つしていない。
ただのうさばらしなのか、特定の個人を狙った攻撃なのか、はたまたもっと大きな政治的な動きの一部なのか…まあ、そんなことはどうでもよい。


だが、一言いいたい。ただの見た目だけで病人を差別視するのはやめていただきたい。休職するにはそれなりの理由がある。気になるなら質問しろ。実名で。そして不正があれば正々堂々と摘発しろ。
それをせずに面白半分に他人を中傷して子どもと公園に遊びにいって来た事を書いたり、奥さんとケーキを食べに行くなどとわざと書いてみせる醜さ。それともフェイク?1人さびしく暮らす引きこもりなのか?
本当に腹が立つ。ありがたいことではないが、病気のおかげでひとつ賢くなれた。

無であってもできることはあるかもしれない2016年11月14日 15時28分23秒

深まっていく秋


木々に黄色や赤の葉が混じり始め、空気がつめたくなってくる。
一気に秋が深まる時期だ。
この間久々に川を覗いたら、オナガガモがいた(オナガグモではない)。
日没は5時台。散歩の気分もあまり上に向かない。
とはいいながら橋の欄干を見ると、まだやるきまんまんのシロカネイソウロウグモ(雄)が、雌のうしろにポジションをとっていた。
こいつら居候のくせして昼間は我が物顔で網を占拠している。
ふと気づくとあたりに卵のうもたくさん。最低年2化はしているようだ。


夕方になると、ズグロオニグモが出てくる。本来の家主だ。
そのころは居候はどこかに姿を消している。
そういえば、これもずいぶん大きい。一体年何化なんだろう。


我が家のユッカのマルゴミグモマンションもにぎやかなものだ。だたひどく小さい個体と卵のうをつけた網が混在している。このまま幼体越冬なのか。
雄は雌の網の端に小さく円網を張るものと決めつけて写真を撮っただけでリリースしてしまったのがくやまれる。これだけの個体がいるのに雄が見当たらないのは、ちゃんとみていないからなのか、徘徊しているからなのか。
考えてみたら、オニグモ類、ゴミグモ類の雄のmating行動ってわかっているのかな??
今度市個体ずつルーペでみてやるか、うちのユッカ。


目白学園は、定期的なものか蜘蛛の巣だらけがいやなのか、植木を刈り込んでしまった。
その代わり、か何かわからないがあちこちでマルゴミグモを観るようになった。
ギンメッキゴミグモより普通種になりかけているのではないか。
そろそろ北限をさぐっても良いかもしれない。


つらつらと、自然現象ばかり書いてきたが、一瞬、自分が空っぽになっているからだ。
瞑想をしても何も浮かばない。
たまたまツイッターでアホなアカウントが出てきたので憤慨していたが、それも一段落つきそうだし、こころをゆらすものがない。
ただ悪化しているように思える脚のもつれ、ぶり返す鬱症状、やる気の無さ。少し良くなったかと思うと余計なことにエネルギーを使い、疲れきる。
かずノ助のツイキャスを初めて聞いたが、あまり近づいては危険だと思いつつ、頭の隅から離れない。父が病気で急死、母が投身自殺、次いで姉も投身自殺。
それでも生きている。
どんな気分なんだろう。
破綻しても、誰にも文句を言う資格はないと思う。


自死といえば、うちの兄の家庭は大丈夫なんだろうか。
よもやとは思うが、ケースによってはちょっと線路に脚が踏み出しそうな気配がする。
手をこまねいている場合じゃないよね。
本当は冷たい人間になりたいのに。
そうでなければ健康が維持できないのに。
ま、仕方がないか。半世紀は生き続けることができたわけだし。
あとでメッセージ送ってみよう。
できることを。
目の前にあることを。
たとえ自分が無であっても。

いろいろ心配ってのはあるもんだ2016年11月17日 15時37分55秒

やっぱり、この「うつ病」という得体のしれない病気が治るかどうかなんだろうな。
一体何をもって、「治った」とするのだろう。脳神経が復元するんだろうか。


今日から薬の用量が増えた。
効いてる気がする。
それでいいんだろうか。
やっぱり不安だなあ。
その場限りで流れるのは得意だが、出口の見えないトンネルは苦手だ。


家族が職場不適応で退職し、再就職先もあまり環境がよくなく健康を崩した。もともと1年契約だったらしいが、その時点で怪しいものだ。
噂では家族内の状況が悪く、家族と顔を合わせないように引きこもっているみたいだが、直接メールを送ったところでそんな事はわからない。
とりあえずなぜだか娘が中学生の時のグループで運動会の実行委員なんかやってるみたいだから、僕よりは頭がしっかししてそうだ。


とりあえず電車のホームで一歩踏み出すような状況じゃなさそうでよかった。
今度呑もう。
これから他人の家庭問題に首を突っ込んじゃうんだろうか。
仕事の愚痴ぐらいにしておきたい。


いやいや、本当に「うつー兄弟」面目躍如っていうかんじだな。

死んだらどうなるんだ2016年11月18日 14時37分13秒

雨宮まみさんというライターの方が亡くなったらしい。
僕は書店で見かけたことがある程度だけれど、若者を中心に多くのファンがいたのだそうだ。
ネット上に追悼文や、早すぎる死を嘆く声が飛び交っている。


こういう精神状態の時だから、あんまり考えないほうが良いとは思うのだけれど、やはり、引き寄せられてしまう。
この間 I さんのツイキャスを聞いたのだってそうだ。
別に助けてあげられるわけではなく、ただその精神状態に引き寄せられていく。
いくら「自殺はしない」と心に決めていても、どこかに希死願望はあるのかも知れない。


死んだら物質になるだけだ。物質と生命の境目というのもつきつめてかんがえればややこしいとおもうのだが、精神とか個性とかいうと、もうまったくわからない。
そういう意味ではただの物質になるだけでなく、何かが消えてなくなるわけで、その事にも密かな恐怖を抱いているのかもしれない。


ところで、ぼくは追悼文というのがうまくかけない。
お葬式でも、なんだかうまくお別れができない。
物事に区切りをつける事ができない、だらだらした性格だからだろうか。
そして亡くなった人のことを思い出しては悲しい気持ちになる。


自分のことをかんがえてみる。誰がどんなふうに悲しんでくれるのだろう。少なくとも喜ばれはしないと思っているが。どんな追悼文が書けるのだろう。
形式的で、空っぽなものだったらいやだな、と思うが、現に空っぽな人生を送っているのだから、きっとそうなっちゃうんだろうな。
この世に名を残して死にたいとは思わない。でも、逆に名前だけ残って「空っぽな人でした」っていうのはかなりいやだ。


魂だか精神だかわからいけれど、そういうものが消え去った後は、だだの物質でいい。
そういう意味では本当に骨壷には入りたくない。
閉じ込められず、自由に物質循環の仲間入りしたい。
そして空っぽな人生だったら、いつの間にか「そんな人いたっけなー」と忘れてしまって欲しい。
それがささやかなぼくの望みだ。

とかなんとか言ってないで、まずは病気を治さなきゃな。

みなさん卒業していく2016年11月22日 15時02分33秒

はじめは2−3ヶ月のつもりではじまたリワーク。
ついにもう5ヶ月を越える所まで来てしまった。
朝の寝起きはわるくなったし、多少本が読めるようになったくらいで、難しいロジックを追うことができない。
だいたいが、百ます計算ごときに集中できない。
正体不明の突発的なふらつきも出てきた。
そして、肝心の集中力、自発性が、どうしても帰ってこない。
主治医が変わったので、その話をしたら、朝飲む薬の容量が1.5倍に増えた。
そのせいか眠い。この間の起き抜けや寝る時のひどいバランスの崩れは、薬量の増量によるものではないかと思われる。


そうこうするうちに、知っている顔ぶれがリワークから卒業していく。
こちらはまだ、病の中を模索している。
やっぱりあせらないわけにはいかない。
そんなにこじらせていたんだろうか。
これから寒い季節に入ってしまうけど、早起きの練習くらいはじめておかないと、いったいいつ出口にたどり着けるかわからない。
だんだん病人ぽくなってくる自分も、なんともいやだ。