1月2日高校時代の友人の墓参に行った2017年01月04日 17時02分06秒

1月2日、高校生時代の友人の墓参をした。
2010年に、会社からいつもより早く帰ってきて、夕飯もあまり食べず、自室で倒れているところを発見され、救急搬送中に亡くなったそうだ。
今まで知らなかったが、偶然知る機会があり、すぐに集まれそうなメンバーに声がかかり、ご自宅を訪ね、お墓まで行ってきた。

一緒に夢中になってアニメーションを作った仲間だった。
背景担当で、とても緻密な絵を描く人だった。
その後建築に進み、相田みつを美術館設計のコーディネートなどで活躍する一方、趣味の世界では車のコンセプトコンペで受賞するなど、活躍していたようだ。
遺族の方が見せてくれた、車のデザイン図やコンセプトは「あいつらしいなー、さすがだなー」という感じで、この絵の雰囲気がまた見られるとは、思っていなかった。
高校生当時バックミンスター・フラーに傾倒していた彼らしく、コンポーネント式のセミオーダー自動車のコンセプトなんていうのもあった。
シトロエン好きで、部屋のいたるところにシトロエン(ds)の模型があり、本人もクラッシクな流線型モデルに乗っていたそうだ。
そう、中学生の頃に作っていたというアメリカの火星探査「バイキング」計画の新聞スクラップもただ事ではなく緻密なもので、計画の経緯から運用経過までびっしりと文章で埋め尽くされていた。
「未来少年コナン」に出てくるギガントが大好きで、前端部をアップで描いた絵もあって「これ、みたことあるような…」と言ったら、「ずいぶん前に描いて、ずっと手を入れていたみたいですよ」とのお話だった。

そうやって、物を自分の成果として残している。
たぶん遺品を集めればミニ資料館くらいつくれるだろう。
しかし40代前半の死は、あまりにも早かった。
彼がまだ生きていたら、一体どんな事をやっていたろうと思う。
なにせ「はやぶさ」帰還直前の死だ。あのイベントを知ったら、なんと思ったろうか。
賢明な彼のことであるから、ブームに乗ることなく、軍事や文明批判などについてひとくさりぶったかもしれない。あるいはさらに何年も先の遠いビジョンを思い描いたかもしれない。

訪ねたお墓は、自宅から歩いても行ける場所にあった。
谷戸の斜面地にある新しい墓地だ。
「花とか線香とか、あいつにばかにされそうだな」「無神論者だったからな」「でも几帳面だから、いいかげんな置き方すると怒るぜきっと」などど勝手なことをいいながら墓参りをした。
「こんなに早く行きやがって、ずるいぞ」「生活大変だぞ」「俺なんかうつ病だそ」…みな口々に不満をいいつつその場を去った。
自分は、何か形になるものを残してこの世を去ることはないだろう。
それで普通だと思っている。
でも人と関わった時間は、その人にわずかながらでも影響を与える。
そういう形で、生者の中で生きていく。
それでいい、と改めて思った。
「俺、何か形にして残して死ねるかなあ」という友人に「俺、そんなつもりないから」と答えたら「ずるいぞ!」と言われけど…

使命感というには重たいが2017年01月13日 15時28分17秒

今日のリワークはプレゼンだった。
以前から「クモが趣味で…」と話していたのが「今度プレゼンやってください」という話になり、こちらも軽い気持ちで引き受けたのだが、よく考えたら、なんでリワークでクモの話なんかするんだろ。
こちらとしては大歓迎だが…
娯楽かなーとおもいつつよく考えてみたら、プログラム内容に「プレゼン」てあるのね。
すっかり忘れてた。
でも、好きな話をわざわざ振ってくれたのは、とてもうれしかった。
思えば、全く一般の人の前で、ちゃんとクモの話をするのはこれが初めだ。
本当はフィルム時代の画像も使いたいが(だってトリノフンダマシなんかデジカメになってから撮ってない)、しかたがないので身近なクモと多様性の話にすることにした。
これなら通勤途中に撮った写真もあるし、あとで気づいたら職員ブログで写真使ってるのでそれを引っ張ってくればいい。
思えば博物館勤務での一番のフラストレーションは、クモの調査も教育普及もできずに、天文の手伝い(というか実質窓口)と学芸班全体を統括する中間管理職的な書類仕事、職員同士の意思疎通調整に明け暮れていた事だった。気づくたびにクモはおろか生きものから離れていく…17年間も希望してようやくたどり着いた職場で…

勤め人なのだから仕方がないのだが、それでも諦めきれない。
一つには、学生時代に知ってしまった、あまりに広大で複雑な生物の世界。
扉を開けてくれた恩師には本当に感謝しかないが、残念ながら自分は研究者タイプではないと気づくのにほぼ時間はいらなかった。

それでもこの世界を、できるだけ多くの人と共有したい。
知ってしまったらだまっていられない。
知ればそれだけで豊かになれるのだから。
そういう思いが未だに消しきれない。

実はこれも病気の原因の一つだった。
博物館学芸員には私生活も顧みず、半ばボランティアのように活動する人が多い。
ある人はそれを覚悟と言ったという。
僕もそこまでやりたいと、たぶんどこかで思っているが、実際にはできずにいる。

そんな事もあって今回のプレゼンは非常に楽しかったし、楽しくできる事がよくわかった。
今まであきらめずにいた「共有したい」という思いが届いた気がする。
使命感というには重すぎるけれど、細々とでも持ち続けよう。
いかなる外圧があっても、事情が許さなくても、捨て去ることはやめよう。

意外なところで勇気づけられた。
うつ病になったからここに通っているというのに。

ところで、今回のプレゼン、スライドから生きもの、おもちゃまで、よくも短期間で必要なストーリーにそってチョイスできたものだと、自分でも感心する。偶然の産物だけど。
疲れをあまり感じないのは、テーマのせいか。
やっぱりクモは良い。それしか言うべき言葉がない。
ああよかった、よかった。

私は現象なのか2017年01月14日 15時14分27秒

ここ数年というもの「つながり」について考えることが多い。
完全に辻信一の「つながり直し」の影響である。というか、ほぼ受け売りに近い。
人とのつながりについて、ずいぶん考えるようになったのは、うつ病になってからかもしれない。
もちろん家族の支えは、何者にも代えがたい。職場の人たちにもはげまされ、福利厚生システムにも助けられている。
こういうと家族には本当に申し訳ないのだが、僕にとって、SNSは大きな心の支えであったような気がする。
特に初期の頃はひたすらお散歩写真を撮ってはアップしていた。
正直言って「いいね!」がつくとうれしい。
ツイッターでも仕事の関係でつながった人や、高校時代の友人とやりとりをしていた。
いつも信用できる誰か、それも多くの人たちとつながっていることは、大変な幸運だったと思う。
そんな中、人生50年を過ぎていながら思春期のように「私とは何か」とつい考えてしまう。
実はこの頃、生物は生命現象であるという考えが頭から離れない。
生命現象の結果が生物なのだから、どっちでも良いような事なのだが、その多様性を考えるたびに、現象そのものと考えたほうがしっくりくるような気がしてくるのだ。
昨日もプレゼンをやった時に「クモの多様性」という面を強調した。
だがそれはある瞬間をとらえた時の見方であって、生物はかなりダイナミックに関連し合い、変化し続けているように思える。
同じように、自分自身も、様々な物や事、人々のつながりの中に現れた現象と考えると、しっくりくるような気がするのだ。
昨日のプレゼンの時も、まるで聴衆のなかに、自分の分身が吸い込まれていくような不思議な感覚を覚えた。
などと、愚にもつかないことをぐだぐだ考えていたら、ふと気づいた。
これって、宮沢賢治だ。

「わたくしという現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」

なーんだ。ここに簡潔に書いてあるじゃないか。
いい歳して悩むまでもなかった。
しかし、ものすごく普遍性のある文章だなあ。やっぱり後々まで残るものを書く人は違うのだな。

階段が怖くなくなった2017年01月16日 14時43分15秒

いままでいろいろ薬を飲んでいたが、主剤としていたレクサプロは飲まずに済むようになった。気分が軽くなっていく一方で、計算能力などはむしろ低下してたからだ。
ついでに導眠剤について「いつも『寝付きは良いですか?』と聞かれて『良いです』と答えているのに、眠剤とセットで飲むものですか?と主治医に尋ねてみたら「そんな事無いです。眠れるなら眠剤も必須ではないです」という答えが帰ってきたので、数日前からどちらも服用をやめた。
最初はなんの変化もなかったが、今度は起きるのが億劫になった。辛いというほどではないが…簡易モニターのグラフも山がギザギザになっていて、まとまった深い睡眠がない。
とはいえ本来睡眠リズムは自分で作るものだから、このまま疲れが出ない限り様子を見ようと思う。
そう、そしてある日ふと気づいた事がある。
「下り階段が怖くなくなった」。
今までは、いつ転げるかと注意しながら、おっかなびっくり下っていた駅の階段が、何の苦労もなく降りられるようになった。
筋トレの成果もあるだろうが、おそらく投薬による副作用が減ったこと、脳の機能が回復してきたことを示しているのではないかと思う。
そしてな、なんと「百ます計算」で「慣れた小学生」ならすぐに達成するという2分以内での回答が、できるようになってきたのだ。
私流の理論(?)で言えば、脳の短期記憶を行う領域が、機能を回復し始めているに違いない。
ただし、何かをするために2階へ上がっていって「はて?なんだっけ?」というのはしばしば。あとこれは半分意識的にだが「他人の話をきいてない」。

これだけ書くと、相当回復に向かっている。
ようやく治るような気がしてきた。
幼稚な話だが、病気の正体を自分なりにイメージ出来たのは良かったと思う。
あれで折れそうになるのを止めることができた。

だが、この悪質な病気のことだ、いつまた悪化するとも限らない。楽観は禁物。

そういえば、この一年、聞く音楽といえば村治佳織のギターばかりだった。
音色といい、音の密度といい、ずいぶん心を落ち着かせるのに役に立ってきた。

歌詞のある音楽は、イライラが高まるだけで、なかなか聞けなかった。
それがこの頃またムーンライダーズとかビブラストーンとかRADWIMPSとかも聞けるようになってきた(しかし毒ありな感じだな、どれも)。
で、RADWIMPSの新しいアルバムをダウンロードしてしまった。また妻に怒られそうだが…(今収入少ないのに!!って)
映画「君の名は」に使われたあの曲も入っている。
で、あらためて思ったけれど、この曲があの映画の全てを語っちゃっている気がする。
やっぱり詩的映像作品なのかなあ、あれ。

さて、このまま回復に向かうとなると、今度は、復職後の具体的な事を考えていかなければならない。
はっきりいって、身がすくむ。
リワークもそれを念頭において参加しなければと思う。ふう。

心配性2017年01月17日 14時03分41秒

このところの調子の良さはめざましいものがあり、あとは睡眠リズムを整え、かつ、出勤時刻にあわせるという難題が残っているものの、最近色々調子が良くなってきたので、そろそろ復職可能GOサインが出るのではと、心ひそかに思っている。
とはいえ、ここで冷静に考えてみよう。
そもそも、病院に行って、もらい始めた薬は導眠剤と眠剤なのだ。
「脳の疲れをとるために睡眠リズムを整えましょう」という目的で処方された。
つまり「こりゃもう医者にかからんといかんな」と思った時の状態なのだ。「イマココ」っていうやつ。
眠剤は初めのうち効果を感じていたものの、その後規則的な覚醒(ただし軽い)が経常的になってしまった。
睡眠時間は結局8時間近くはとってる。
今、試験的に眠剤をやめて様子を見ているが、数日間では状況の変化がみられない。
そして朝起きる際の、眠気が出始めた。
薬なしでリズムが作れれば理想だが、まずは朝、出勤時刻に合わせてすっきりおきられなければならない。
それが先決だろう。

実は眠りの質が落ちつつある事に関してちょっと心当たりがある。
それは「すぐに復職へのGOサインが出たらどうしよう」という、また楽観的というか勝手な想像だ。
職場の状況は知らないわけではない。
あの課題もある、この課題もある、自分はどこまで関わるのか、またオーバーフローしないか、感情的に矛盾に耐えられなくなりはしないか…

いわば「最悪のケース」を、気が早いことに今から想像し始めているのだ。
意識的にではない。気分が軽くなり、仕事のことを考える余裕ができたときに心の奥底を覗いてみると、なにやらそんな感情がうごめいているのだ。
まだ睡眠のコントロールもおぼつかないのに。

思えば、僕はいつも「最良のケース」より「最悪のケース」を重んじて来た気がする。
公務員になってさらにそれに拍車がかかった。
始まる前からあれこれ想定して、間違いがないようにしておく。
いや、それが完璧にできれば立派な公務員だが、元来ものぐさなので、中途半端に「悪いこと」を考える。
この段階では妄想に近い。ただの心配症だ。

今回の場合、どうもそれが睡眠に影響しているような気がする。
うつ病になってみると、こういう自分の欠点に気づくことが多い。
実にありがたい病気だ。
そんな事を自覚することもなく、にこにこしながら一生を終える人も大勢いるのだろうが。
残念ながら自分は病気になってしまった。

とにかく、まずは目の前にある事に集中しなくては。
睡眠。
当面はこれだけ。
きっと脳のためにも良いに違いない。