うつの深掘り(もう一度)2017年04月04日 14時35分04秒

ついに仕事を休み始めて1年3ヶ月が過ぎ、2回めの春を迎えることになった。
自分だけ立ち止まっている中、周りがどんどん動いているような気分。ちょっと無理して傍観者として俯瞰していないと、あせる気持ちに押し流されそうになる。
4度目のひどいぶり返しを経験して、回復途上とはいえまだ不安定な中で、とにかく家族旅行に間に合う程度にまでなれたのは不幸中の幸いだ。
そしてまたあの疑問が頭をもたげてきた。
「この病気は治るのか?」
結論から行ってしまうと、「一度発症した者は、常に再発の危険を抱えている」ということに、気持ちが落ち着きつつある。
となると、どの程度まで回復すれば良いのだろう。
今回のぶり返し程度の強度で再発したら、おそらく1週間の休暇では済まないだろう。
傷病休暇のリセットは1年。(あれ?復帰してからだよね、たぶん)
復帰が遅れれば遅れるほど、有給休暇の日数も減る。
正規の復帰には約2ヶ月かかるから、その間に再発しなければ大丈夫だろうと言えなくもないが…再び休職に入ったら、収入の道はない。家庭崩壊への第一歩…
ああ、あまり先の事を考えても仕方がない。むしろ療養にあと1年くらいかけても良いと思った方が良いかもしれない。
元はといえば、病状を悪化させたのは自分だった、という認識も必要だ。
何度も職場でヘタってしゃがみ込むようになったとき、最初に心療内科を受診した。
だが、その時は主治医があまりにも心を病んでいるように見えたこと、待合室に熊田千佳慕の本があって心が少し軽くなった事、いきなり薬を処方されて戸惑ったこと。
これらが相まって「まだ頑張れそうだ」と考え、それ以上通院せず、処方された薬も飲まなかった。大体、医師の指示通りに飲み始めたが最後、減薬の指示が出るまで飲み続けなければいけない薬なんて嫌だった。しかも、吐き気やめまいといった副作用が起きやすいとも書いてあり、とても飲む気になれなかった。
この根本には、経験則から来る信条のようなものがあった。
「うつ病にかかって、薬を飲んで治った人を見たことがない」
職場を見る限り本当にそうだったし、中にはうつが原因で自死したとしか思えない人もいる。
自分の楽観的な性格と、クモ好き、虫好きという嗜好を頼りに、セルフコントロールで切り抜けられる、とその時は考えた。
しかし、職場の状況は悪化するばかり。上司の思いつきで増加した仕事、誰に振ったら良いか判断がつかない領域の仕事、担当不在の広報、それらに加え、班員10人中5人がいなくなり、4人が補充されるといういびつな状況と、いままでの風呂敷を広げた上司に対し、厳密性を旨とする上司に代わった事が、より仕事量の増加となった。
加えて、新メンバーと上司、他のメンバーとのディスコミュニケーション。
度重なる書類の錯誤に対する全庁的注意喚起、1日20〜30件流れてくる承認書類。その多くが「急ぎで!」。
しかし、ちょっとしたトラブルや問い合わせにかかる時間も思いのほか多く、打合せも多い中、書類確認作業にまわす時間が減っていく。勢い、未確認で差し戻されたり叱責されたりすることも多くなり、作業量はますます増えていく。
そんな中、マウスを持つ手は日に日に重くなり、立ち上げたパソコンのどこをクリックすれば良いか混乱するようになり、ついには文章の意味が頭に入らなくなってくる。
新人が担当する夏の企画展の進捗状況も芳しくなく、どいういうわけかいつも揉め事を引き起こしている。
当事者の間に入りながら誤解を解いたり、指示を出したり、しまいにはタスクリストを作って渡したり…
だんだん日付や曜日の感覚がめちゃくちゃになっていき、外部との会議や研修とのオーバーブッキングも増え、「このままではそのうち大問題を引き起こす」という自覚に至って、ようやく、前回の受診から一年を経て、別な医院を受診することになる。
企画展もどうにか間に合わせたが、展示物のキャプションは休みの日に書き上げて職場に送り、OKをとったり、作成も結局ほぼ自分でやった。
自分で言い出したことだが、借用品の展示物のプレッシャーは大きく、いくらこれがなかったら目玉がないだろうと言っても、毎日何か事故が起きやしないか、気が気でなく、しょっちゅう展示室に足を運んだ。
夜の星空観望会も、ローテーションメンバーとして入っていたので、いや、それ以前に仕事がこなしきれなくて帰りが遅くなり、夜11 過ぎてから、ちょっとだけ夕食を食べて風呂に入って寝て、翌日は5時半に起きて…朝食も食欲なくごく少量で…それでも朝の通勤途中で写真をとって、帰りの電車内で職員ブログを書くことも続け…寝る前の酒量は増える一方で…
正直言って、もう限界だったのだと思う。下手をすれば栄養失調にすらなりかけていたかもしれない。
ついに、職場近くまで来て、乗換駅で次の電車に乗ることができなくなった。
気分的にも最悪だったが、全く思考が働かず、とてもではないが仕事に耐えられる状態ではないと自分でもはっきりわかった。
主治医に相談したところ、「だいぶ頑張ったみたいですが、休んで直したほうが良いでしょう」という結論になり、ついに、12月から正式に傷病休暇、3月からは休職…そしてようやく6月「憂鬱な気分がとれてきて、気力を取り戻す段階になったので、リワークに通った方が効果的です」と告げられる。
翌7月からリワークを開始。このころはとにかく突発的なめまいに悩まされ、病人感が半端でなかった。階段やエスカレーターでは必ずリュックサックを背中に背負い、バランスをくずさないよう気をつけた。うつ病の正体の知れなさに、いらついて怯えていたのもたぶんこの頃だ。
とにかく線路に転げ落ちるような目には会いたくないと、筋トレをし、ふらついたときに最小面積で倒れる練習をしたり、思考能力を確かめるために計算ドリルをやってみたり、それなりに充実していた期間でもある。順調に回復している時期と変化がない時期はあったが「よくなっている」という実感があった。
その後、突然のぶり返しを何度か経験したものの、気分が晴れ渡り、意欲も湧いてきて、ようやく復職への希望が見えたその矢先、今回の酷いぶり返しが来た。
それはよくある事なのだという。
しかし、自分にとってはショックだった。
「ほんとうにこの病気は治るのか」
この問いかけが再び頭をもたげてきたのは、自然な事だと思う。
これらの時間の経過の中で、服用する薬品も徐々に代わっていった。
最近は、一度改善した寝起きが悪くなったので、眠剤を止めている。飲んでも劇的に睡眠が改善するわけでもない事がだんだんわかってきたからだ。
そして最後に残った薬は、皮肉なことに、最初に行った心療内科で処方された薬と同じ薬。それと、突発的な気分の低下のときに使う抗不安薬(所謂「とんぷく」)だ。
今思うに、あの時点で素直に薬の服用を始めていたら、もっと早く治っていただろうか。
それとも、医師が違うので、また違った結果になっていただろうか。
いまでも信条は変わっていないが、修正したいことがある。
「薬をのんで治った人を見たことがない」ではなく、
「薬を飲んだだけでは治らない」だ。
薬は症状を抑えたり、緩和するだけ。
治るのは自分の体であり、生活環境だ。
そして再発防止のための、行動パターンの修正。そのための客観化。
発症を予想するための危険サインの自覚。発症に至らないためのケア。
それでもぶり返しや再発はやって来ないとはいえない。
とにかくその振れ幅を最小限にする事が、必要だ。

そういう意味では、まだ自覚が足りないのだろう。
何かを見落としてる。

気がつくと、発症時と同じ思考パターンに陥りかけている。
ぶり返しはその警告なのかもしれない。
まだ、あせりがあるのだろう。
時間はまだあるのだから、きちんと自分を直さなければと改めて思う。
なるようになる。
それしか言いようがない。
でも、道のりは長い。
うんざりする。
「もう、病気飽きました!」と、声を大にして言いたい。
「俺は飽きっぽい性格なんだ!、とっとと治れ!」と。

…やっぱり焦ってるか…