コロナ後の世界って2020年04月29日 11時56分46秒

そういう言葉をよく目にするようになった。コロナの前と後では世界が変わる、と。
一体何が変わるのだろう。
人と人の距離か。経済格差か。免疫のあるなしという分断か。
東日本大震災の事を思い出す。あの時も「震災後の私達は同じではいられない」という言葉を目にした。
確かに、日常の大切さに目を開かされたし、当事者と非当事者の間の埋めようのない溝に痛い思いをした。そして一方で、原発事故を中心に真偽の分からない情報の応酬といがみ合いが激しくなっていったようにも思う。その頃からSNSが爆発的に普及して、情報が溢れかえるようになったという事なのかもしれない。
ただ、今回はそれとは違う気がする。そもそも世界は変わるのか。
世界中で多くの人の命が脅かされ、失われ続けているにもかかわらず、そうは思えない。
このコロナ禍で顕わになったのは、我々が経済と呼ぶものがどれだけ脆弱であったかという事だ。
世界は、自転車操業だった。雇用も、生活必需品も、医療も。そして庶民が支える文化なるものは、経済を回す商品だった。正直言って、情けなくて、泣きたくなるような現実だ。
ウィルスというちっぽけな存在が、社会、経済、文化と思っていたものに、裏側から光を当ててしまった。
でもきっと世界は、全力でそれを覆い隠そうとすると思う。元通りにならないとしても、とてつもない復原力と慣性で、今まで通りの道を突き進むのだろう。仕組みはそのままだし、舵取りだって同じ人たちがやっているのだ。だから当然だ。そうしながら、徐々に変わっていくのかも知れないし、そうではないかも知れない。
だから、断言するのではなく、問いかけるのが良いのかもしれない。
我々は変わるのか?どのように変わるのか?変わる事ができるのか?
問い続ければ、少しは何かが見えるかも知れない。少なくとも、要らぬ希望を抱いたり、絶望するよりもずっとましだ。
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