闘病という事2023年03月27日 13時19分17秒

「病気である自分を自分として認める」というのはWRAPの考え方だ。治るとはどういう事か、病むとはどういう事か、そういう根源的なことにもかかわっている。病んでいる自分が、社会の一員としてどのように振る舞えるのか、そこを出発点にしている。この考え方には随分救われた。
しかし残念だが、それも良い事ばかりではないと思い始めている。体調が思わしくない時、誰かに迷惑をかけているのは事実だ。善意で支えてもらっているのかも知れないが、やっぱり迷惑だと思う。
きっちりとWRAPをやっていれば、明確な目標設定とフィードバックで、ばりばり進んで行けるのかもしれないが、それほど意志強固なタイプではない。
そして、単純な事だが、病気の自分を認めてしまう事で、闘うべき相手が見えなくなってなってしまうのが問題だ。
症状が今よりひどい頃、次から次へと病への対抗策を考える事で自分を支えていた時期がある。抗う事で自分の足元をしっかりさせていた。
今は、病気である自分に対して何をしたら良いかわからない。病が自分の一部になる事で、対抗する意欲が失われてしまった。
加えて、この頃、能力が落ちているの改めて実感する事が多い。大抵の仕事は人並みにできない。仕事に限らず、今までやろうと思っていた事が手の届かないものになってしまったように感じられる。
その事について、ぼんやりとした絶望感のようなものはある。でも、どうにかしなくては、という意欲が湧いてこない。
これは、まずいのではないか。
そう思うけれど、考え方をどうするか以前に、意欲そのものが低下してしまっていて、どうにもならない。休みの日は寝ているだけ。本も読めない、音楽も聞けない。こうして文章を書いているのは、ものすごく久しぶりだ。良い兆しだろうか。
正直、仕事でエネルギーを使い過ぎている。休みの日は仕事のために蓄える事しか考えていない。頭や精神をなるべく使わないようにしている。
今日もこうして文章を書く事で、明日使うエネルギーが減ってしまわないか、心のどこかで心配している。
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