久しぶりに自分の事を2020年06月18日 10時51分42秒

最近、職場のホームページの引っ越し作業があり、行きがかり上自分が担当した。
ひとことで言って、辛かった。
作業代行サービスを頼んでいたのだけれど、先方がコロナウイルス対策の勤務体制になっているせいか、やりとりにひどく時間がかかった。こちらの理解不足もあり、数日で済むはずの作業に2週間もかかってしまった。事前連絡も含めると一ヶ月以上の長丁場。いくつものトラブルを抱えながら、最後にはホームページが表示不能になり、2日間サポートのメールを待つというおまけ付き。
それでもなんとか引っ越しは終わった。
それから約1週間。気分の変動が収まらない。
最後の2週間は頭の中がフル稼働だった。乏しい知識と予算の中で、次善策を考え続けていた。気がつくと休憩もとらず、時間外にはみ出していた。
だいぶマシな体調になったとは言え、やっぱりこんな事をやってはいけない。まだ「出血しやすい」身の上なのだ。
体調を崩した時の事を思い出す。いつも仕事の事を考えていて、疲れて考えられなくなっても考えて、無理矢理気力を絞っているのを自覚しながらそれを続けて、ついには何もできなくなった。起き上がる事さえできなくなってしまった。
ようやく復職できた時に、能力が戻っていたかというと、全然そんな事はなかった。他人の言葉が理解できないのはしょっちゅうだった。言われてた事を丸ごと忘れた。書類を読む事ができない。ないはずのものが見えてしまう。全部ショックだったが、ショックと思わないようにした。そうしているうちに、徐々に回復してきた。今は脳の機能がだいぶまともになっている気がする。
それでも、今回のような仕事のやり方をすると、ダメージがある。
気分の高揚が止まらない。何かを「できる」と思い込む。芸術作品の「意味」が唐突に理解できたりする。頭の中で同じ音楽が鳴り続ける。かと思うと、全てが悪い方に進んでいくように見える。自分がとことんダメな人間に思える。他人から無視されているように思える。
極端から極端への波。今ではそれがどういう意味かわかっているから、飲み込まれる一歩手前で踏みとどまっている。でも、ずっとそうしていられる自信はない。これは病気で、自力だけでなんとかできるものではない事もわかっている。
どんな働き方をしようと、それは人の自由だと思う。楽しい事をとことん突き詰めても、責任をきっちり果たし続けても、抱えきれない量の仕事を抱え続けても、それはその人の勝手だ。
でもその時「自分が壊れる可能性」を無視してはいけないと思う。周囲の環境がそうさせているにしても、知らないうちに、自分が壊れる道を自ら選んでいる事が、きっとある。
「自分が壊れない道」だって選択可能なのに、それを忘れている。
自分が再びそこに踏み込みかけていたら思い出そうと思う。壊れるのも、壊れないのも、実は選択の自由があるのだと。

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